聞いてくれ! 第36回
「出会い〜車椅子バスケット〜」


「聞いてくれ」ファンのみなさん、ご無沙汰しておりました。
みなさんに何を聞いてもらおうか色々考え、悩んでいたら今日までヅルヅルときてしまいました。
本当に聞いてくれファンのみなさんにはご迷惑をおかけしました。
以前にも継続しますって言ったばかりなのに・・・ほんと申し訳ありません。
気持ちを新たに頑張って行きますので、引き続き「聞いてくれ」をよろしくお願いします。


ということで、今回の聞いてくれは、きゃっするが車椅子バスケット、そして千葉ホークスに出会うまでの事を聞いてもらいましょう!
(「車椅子のJリーガー」でも書いていますが、知らない人のためにもう一度・・・)


今から11年前(正確には11年と3ヶ月)にきゃっするは交通事故に出会いました。
事故当時、きゃっするは「早くリハビリして、またサッカーをやるぞ!」という強い気持ちでいました。
しかし2ヵ月後「この症例で治ったケースはありません、これからは車椅子の生活になります」と・・・

その瞬間、頭の中が真っ白になりました。
数日前に悪妻が忘れていった日記を見て(本人は気づいていませんでしたが・・・)ある程度のことは知っていて覚悟はしていましたが、やっぱり主治医の先生に直接言われると流石にショックでした。
「俺はもう二度とサッカーができないんだ・・・」
「何で俺がこんな事に!」
やりきれない思いをどこにもぶつける事ができずにいました。
悪妻や両親がいたら当り散らしたかも知れなかったけど・・・

それからしばらくして、仲の良かった看護婦さんが来て、「大丈夫?」と声をかけてくれたのです。
人に弱いところを見られるのが大嫌いなきゃっするは、気丈な態度で「うん、大丈夫だよ」と。
そんな状況の中、思わずきゃっするが看護婦さんに言った言葉があるんです。

それは・・・・「あのさ〜、車椅子でできるスポーツってなんか知ってる?」でした。

正直自分でも驚きました。宣告された直後ですからね。
サッカーができなくなっても、この体(車椅子)でできるスポーツが欲しかったし、心のよりどころを求めていたら自然と「スポーツ」という言葉が出てきたんだと思うんです。
その時は車椅子のマラソンくらいしか頭に思いつかなかったので、「嫁さんと二人でホノルルマラソンでも出るわ〜」なんて言ってましたけどね。
自分の障害を受け入れ、これからリハビリを頑張って、「1日も早く社会復帰をし人並みの生活を送れるようにしよう!」それが悪妻との目標でした。


障害者になると手帳の申請をしなくてはならず、悪妻に市役所に手続きをしてもらいに行ったのです。
ちょうどその頃、きゃっするはリハビリのため違う病院に転院していました。

ある日、悪妻が面会に来た時、「車椅子バスケットっていうのがあるんだって〜」と言うのです。
きゃっするは、「へぇ〜、そうなんだ〜」という程度でしか聞いていませんでした。
悪妻によると、地元の市役所で障害者手帳の申請をした時、手続きをしてくれた人が車椅子の方で、その人が車椅子バスケットをしているという事でした。
しかも明日、病院にまで会いに来てくれるということになっていたのです。

次の日、その人がきゃっするの病室までやってきました。
名前は「小瀧さん」という方でした。
いろいろ車椅子バスケットの話をしてくれましたし、サッカーをやっていたのなら是非バスケをやった方がいいとも言われました。
突然のことだったので、きゃっするもどうしたらいいのかわからず、ただうなずいているだけでした。
車椅子でバスケット??まったくの未知の世界のことでしたからね・・・・

その小瀧さんの紹介で、リハビリ専門の病院(所沢の国立リハビリセンター)に2度目の転院をすることになったのですが、退院後は小瀧さんが所属している「千葉ホークス」に入ることが条件でした。
(いつそんなことになったのかは、いまだにわかりませんけど。。)

リハビリ中に体育館で車椅子バスケットをはじめて見たのですが、その時の印象は「この程度なら俺にもできる」でした。
きつく辛いリハビリも何とか乗り越え、事故後8ヵ月後に無事退院することができました。


そして、いよいよ「千葉ホークス」の練習を見に行くことになったのです。
その時のきゃっするは、「所詮、障害者スポーツだろ!」という感だったのですが、練習を見学しているうちに今まで思っていたことがすべて吹き飛びました。

リハビリの時、はじめて見た車椅子バスケットと今、目の前にしている車椅子バスケット。
スピード、パワー、テクニック。すべてにおいて「質」が違ったのです。

それはそうですよね〜、最初見たチームは東京都リーグ最下位。
千葉ホークスは「日本一」でしたから。
プロでサッカーをやっていたきゃっするの目から見ても、「こりゃ、すげ〜、こんなの俺には絶対できない」と思いましたからね。

焦げたタイヤの匂い、車椅子同士がぶつかり合う金属音、転んでも自分で起き上がる・・・・

そんなものを目の当たりにして、流石のきゃっするも怖気づきましたよ。(笑)
それから数ヵ月後、千葉ホークスの選手達に混ざって、「名古屋国体」に連れて行ってもらい、いつの間にか千葉ホークスの一員になっていました。


やっぱりきゃっするにはスポーツが全てだったんです。


それにしても、小瀧さんとの出会いがなければ、車椅子バスケットや千葉ホークスと出会うことなんてなかったですよね〜。

その出会いから5年・・・小瀧さんとは、シドニーパラリンピックに一緒に行ったんですよ。
小瀧さんは全日本のヘッドコーチとして、きゃっするはプレーヤーとして。
こんな衝撃的な、そして運命的な出会い、みなさんにはありますか?


〜おまけ〜

実はきゃっする、練習に行くのが嫌で嫌で仕方なかったんです。
練習がきつかったのもあるんですが、一番嫌だったのは、普段用の車椅子からバスケ用に乗り換える事ができなかったからなんです。
(普段用にはブレーキがあるが、バスケット用の車椅子にはブレーキが無く、乗り換えようとすると動いてしまうのです)
一回、練習が始まっている時に体育館に行って、車椅子を乗り換えようとしたら床に落ちてしまったのです。
(腹筋のつかえないきゃっするは、当時は床に落ちてしまうと、腕だけの力では車椅子に這い上がる事はかなりの困難な事でした)
選手のみんなは練習していてだれも気づかないし、大声を出したら恥ずかしいし。
15分くらいそのままの状態でいたら、ちょうど玄関から一般の人が入ってきて助けてくれたんです。
それ以来、練習行くのが嫌になったのです。(大笑)