聞いてくれ! 第27回
「その時その時の夢→目標に!!」


3月は卒業のシーズンですね。
それと同時に新しい夢(目標)に向かって行くための、心と身体の準備の期間でもあります。

4月からは、小学・中学・高校・大学・会社など、それぞれ新しい道に進んで行くわけですけど、「夢(目標)」が無くては平凡でつまらないとは思いませんか?

そんなことで、今回の「聞いてくれ」は僕の小・中・高校時代の「夢(目標)」についてちょっと聞いてもらいましょう。


〜小学校〜
小学校時代、本当は自分は「野球選手」になりたかったんです。
小学校に入る前にじじちゃん(おじいちゃん)から野球のグローブを買ってもらっていたし、親父も「大の巨人ファン」でしたから、その影響で「将来はプロ野球の選手になるんだ!」と思っていました。
小学校2年生の時、地元の野球チーム「クリーンチャイルズ」に入団させてもらおうと親父と二人で行ったのです。
ところが・・・、小学校3年生からではないと入団できないと言われて、あえなく断念することになったのです。
その後に、姉の担任の先生がサッカーの顧問をしていて、その先生から「足が速いんだから、サッカーやった方がいいぞ」と言われて、なんとなくサッカーを始めることになったのです。
そして、小学校6年生の時に「ワールドカップスペイン大会」を見て(のちに一緒にプレーすることになるリトバルスキーのプレーを見て)「プロサッカー選手になりたい!」という夢を持ったのです。
当時、日本にはプロリーグがありませんでしたから、プロになるには海外に行くしかなかったのです。
すでに奥寺康彦さんがドイツのブンデスリーグで日本人プロ第1号として活躍していましたから、「ドイツのブンデスリーグに行ってプロサッカー選手に俺はなるんだ!」と勝手に思い込んでいました。


〜中学校

プロサッカー選手になるという「夢」をもって、行動し始めた時、始めて夢が目標へと変わりました。
小学校の時から、大人用のボールに変えて練習していたので、中学に入っても、特に大きな影響はありませんでした。
1年生でただ一人のレギュラーとして試合に出場し、北海道選抜にも選ばれて確実にプロサッカー選手への階段を上り始めていました。
しかし、挫折感も味わいました。
北海道選抜のキャプテンとして全国大会に出たんですが、始めての全国大会で俺は緊張してしまい、自分のプレーがまったくできなかったのです。
そしてそれ以降、一度も試合に出ることはなかったのです。
全日程が終了して他の選手達は遊びに出かけましたが、俺は布団に潜り一人悔し泣きをしたのです。
その悔しい思いが、また新たな俺を作り上げ、新たな目標をもたらしたのです。
それは・・・誰もが認める「北海道bPプレーヤー」になること。
そしてもう一つ。室蘭大谷高校に行って1年生からレギュラーで、栄光の背番号「10番」を背負うということでした。


〜高校

実は高校に入る前、「特待生で室欄大谷高校に入って、1年生からレギュラーで、10番をつける事ができなければ、サッカーを辞めて親父の仕事手伝うよ」と親に啖呵をきってしまったのです。
前回の聞いてくれにも書いたように、学習特待で入学することはできたんですが、その後すぐの東北遠征のときに手渡されたユニホームの番号が「13番」だったんです。
正直、「終わった〜」と思いました。
それでも試合には使ってくれてましたので、とにかく「今の自分の全てをこの遠征にぶつけよう」と気持ちを切りかえたのです。
遠征中は常にスタメンで起用され、得点を挙げるなど活躍をしましたが、背番号が・・・・。
室蘭に帰ってきた後、メンバー発表があり真新しいユニホームが配られました。
手にしたユニホームの番号は「10番」でした。
ホッとしました。
サッカーが続けられると思ったら、今まで以上にサッカーが好きになりました。
高校2年で日本ユース代表、高校3年生でバルセロナオリンピック代表候補と本当に順調でした。
この頃、日本にもプロリーグが誕生するということが既に決まっていましたので、海外に行かなくても夢であったプロサッカー選手になることが可能になったのです。
高校3年の時、進路をどうするか悩みました。これはあまり知られていないことなんですけど、実は俺は、古河電工〜ジェフ市原に入る前は、99%就職が決まっていたところがあったのです。
それは東京ガス(現FC東京)です。
当時の東京ガスは東京都の社会人リーグで決して強いとは言えませんでした。
それでもなぜ東京ガスに決めたかというと、「ブラジルのサンパウロ」というチームと提携を結んでいて、2年間ブラジルに留学させてくれると言ってくれたからなんです。
日本のプロリーグも魅力ではありましたが、自分がブラジルでどの程度通用するか確かめてみたいという気持ちもあったのです。
しかし、その時期は日本ユース代表の最終予選の前。
室蘭大谷のコーチから「東京ガスに行ったら、ユースから落とされるぞ、代表でいたければもう少し考えてみろ」と言われたのです。(※当時、社会人リーグに行った選手はやる気がないと見られ、代表を落とされることがあったんです。)
日の丸をつけて世界の舞台に立つことは、俺にとって、もう一つの夢でしたから本当に悩みました。
東京ガスの本社にあいさつに行く前日、俺は東京ガスの監督さんに断りの電話を入れたのです。
ブラジルでの挑戦より、目の前にある「日の丸」をとったのです。
そして最終的には最後まで熱心に俺を誘ってくれた古河電工に入り、ユース代表として日の丸をつけ、その後ジェフ市原と念願のプロ契約を結び、夢であった「プロサッカー選手」になったわけです。


プロサッカー選手になる夢を持ってから、実際にプロサッカー選手になるまでには、ここでは書ききれない本当にたくさんの出来事がありました。
今回書いたのはほんの一部です。

ただ、言えることは、常に夢や目標を持ってやってきたということ。
そしてどんなに困難な出来事があっても決してあきらめなかったということです。


これから4月になって環境が変わり、いろんな出来事があると思います。
楽しいこと、うれしいこと、辛いこと、悲しいこと・・・。
できれば楽しいこと、うれしいことがたくさんあった方がいいですよね。
そのためには、夢や目標を持って行動するということが一番ではないでしょうか。


俺の場合、夢や目標を持ったらすごく楽しくてワクワクしてきます。


みなさんも夢や目標を持って、自分がどうなっている(どうなりたい)のかイメージしてください。
きっとワクワクしてくるはずです。